Leaders Style(リーダーズスタイル)

株式会社シータプロモーション 小松美羽

1984年生まれ、長野県坂城町出身。銅版画家。女子美術大学短期大学部を卒業。端整な顔立ちから「美しすぎる銅版画家」と称される。2012年には個展「神ねずみと唐ねこさま」(坂城町)、「小松美羽作品展 画家の原点回帰 ~ウガンダ~」(オリンパスギャラリー東京・大阪)を開く。トヨタと地域のテレビ局とのプロジェクト「ニッポン コレカラ プロジェクト」(http://www.corolla-korekara.com/)では長野県代表のコレカラパーソンとして活躍中。
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 「美しすぎる」って言われるのは、私が半人前だから払拭できないだけで私の責任だと思っています。私がもっと、しっかりとした立ち位置になれば自ずと消えちゃうわけじゃないですか。だからしっかりやるしかないな、と。自分の見た目と絵って全く関係ないですから。それは私が自分で培ってきたもので、ビジュアルって人から見たもので自分ではあんまり鏡も見ないし。あんまり関係ないです。

 私にとって「美」は、名前にも「美」って付いてますけど、やっぱり離れられないものですね。でもやっぱり「美しすぎる」っていう表現はあまり好きじゃないですけど。「美」って素晴らしい考え方。その奥には愛がありますから。愛の固まりですよ。美しいと思うことは愛なんです。美しいと思えば思うほど愛に変わりませんか?
小さな頃からずっと探していた線と出会った
小松美羽
 坂城町は私の原点。私の人格や絵の根本となる軸を作ってくれたのは坂城であり長野県です。子供の頃から絵は描いていましたね。動物が好きだったので動物図鑑を開いて、動物の絵を描いていました。版画との出会いは、東京に出て美大に入ってから。私が探し求めている線が銅版画だったんです。線は小さい時から無意識に追い求めていて、ずっとこの線を出すにはどうしたらいいんだろう?と思っていましたから。「これだ!」と思いましたね。

 作風はやっぱり、生まれ育ったものですね。死生観を表現するようになったのも、よく動物を飼っていたんですけど、その動物達の死に立ち会ったことからですかね。「四十九日」という作品が評価されたことで、メディアでも取り上げていただけることが増えていきました。六道輪廻ってあるじゃないですか、天界、人間界、地獄とか。その天界に行くまでに審判がある訳ですよ、地獄に行くか行かないか。昔飼っていたラビちゃんというウサギとお爺ちゃんが同じ火葬場で焼かれていて、同じように目が溶けている。だからそのウサギが「天国はこっちだよ」って先導しているんです。お爺ちゃんは書道をやっていたので足に筆が付いているんですけど、筆が天界を示しています。地獄が審判で襲いかかってくるんですけれど、それをかいくぐっている感じですね。人間の死ぬ姿と動物の死ぬ姿はそんなに変わらないし、それに四十九日の迎えかたって人それぞれじゃないですか。本当に悲しんでいる人もいれば、義理で来ている人もいるし。自分にとっては四十九日って凄く大切な日かもしれないけれど、他人からしたらなんでもない日だし。ちょうど境目だなって思って。

 死って美しいものだと思います。死って、土に帰るもう一つの作業ですし。地球が美しいのは、やっぱり死があるからだと思う。だから死をマイナスにとったことは無いです。マイナスで描くことって性欲とかを描くんですけど、死につながる性欲とか、欲望が絡んだ死は醜く描くんです。だから六道輪廻とか四十九日っていうのは美しい死を描いています。

 私の絵を選んでくれる人の為にもカッコいいものを出していくっていうことが、自分の中で求められていると思うんです。遊びとか発散するために描くとかじゃなくて、一点一点が勝負なんだって。だから自分の作品が100年後に残ることを考えた時に、絶対にジンクホワイトは使わないとか。素材自体も耐久性があるものをやっぱり考えていかないといけない。全てにおいて、責任をもって描いていかないと。パネルにぱっと下絵を描いて、もう一回ジェッソを塗って、ちょっと違うなと思ったらもう一回ジェッソ塗り直して。ただの私の楽しみなんですけど、200年後にこの作品が有名になった時に赤外線なんかで見るじゃないですか。「実をいうとこの絵には裏にもう一つ絵があった」とか。もう一回小松美羽って何なのか?って。そういうことを想定して、これでちょっとヒントになればいいかなとか(笑)。そういう、研究されるぐらいの対象になりたいです。死んだ後も楽しいですよね。これ、本当です。
描いていない時の時間の使い方も重要
株式会社シータプロモーション
 今後は日本を抜け出してワールドワイドに考えて、世界の市場にのりたいです。作品の製作は、結構バッていくタイプだったんですけど、最近は考えるようにしています。ニューヨークから帰ってきてからですね。ニューヨークで色々と見てまわる中でコンセプチュアルアートを見たんですけど、コンセプトって大事なんだなと思ってます。描く人にとっては重要だと思うんですけど、見る人にとっても重要なんですよね。それならちゃんと勉強した方がいいな、と。「このテーマで行くんだ」と思ったらちゃんと現地に行って、「この樹を描きたい」と思ったら樹を撫で回すようにしてからじゃないと描かないようにしたりとか。どうしてこの樹が自分の心にくるのか、ちゃんと説明できるように箇条書きにしてから始めたり。海外に行って「現代」で戦っているアーティストさんってやっぱりそこを凄く重要視している感じがしたんです。私もやっぱり日本だけで終わりたくないですし、海外に行ったら英語で訊かれるじゃないですか、「コレ何?」って。その時にカッコいい英語で絵の説明が出来たら自分も勉強のし甲斐があるし、説明するということは絵に対する愛情も人一倍強くないと説明できないですよね。だから実際に描いていない時以外の時間の使い方も重要なんです。

 座右の銘、すっごい長いんですけど。茨木のり子さんの詩を座右の銘にしています。「自分の感受性くらい」っていう詩なんですけど。自分で夢を放棄しちゃっているんだよ、それに対して苛立っているのは自分のせいだよ、っていうことを言いたいんじゃないですかね。だから絶対に捨てちゃダメだと思うし。やり続けなきゃいけないなって思います。
※記事の内容は取材当時のものとなります