フリープロデューサー

木村政雄

Masao Kimura
1946年京都市生まれ。同志社大学卒業後1969年吉本興業株式会社入社。横山やすし・西川きよしのマネージャーを務めた後、漫才ブームのなか東京事務所を開設。大阪本社復帰後は、名古屋、札幌、福岡、岡山に事務所を開設するなど、吉本興業の全国展開を図る。2002年常務取締役大阪本社代表を最後に退社。以降「有名塾」塾長などを務めた後、大人のためのフリーマガジン「ファイブエル」を創刊、編集長を務め、実部数10万部を超える媒体に育てる。
木村政雄

最初はプロ野球選手になることが夢でした。しかし父に「絶対無理や」と言われ普通の公立高校に進学し、その時にプロ野球選手の夢は諦めましたね。学生時代は試験で点数を取れば、合格も進学もできた。でも社会は違う。就職活動を通じて社会というのは「理不尽」だと感じましたね。ものごとを決断するという時期は人生の中で何回もあると思うのですが、私はこれまで必ず「しんどい」方を選ぶようにしてきました。

もうここは自分のいる場所じゃない

木村政雄

楽な方を選んだらろくなことがありません。吉本興業の常務取締役に就任してから、吉本の芸人を見る中でやはり「自分の年齢±10歳」でないと面白く感じなくなっている自分に気が付きました。そうなった時に「もうここは自分のいる場所じゃない」と思うようになり、吉本興業を退職しました。

その後は男として生まれてきた以上、どこか壁に爪痕・自分の生きてきた証を残したいという想いで、今は次に爪痕を残す場所を探しているところとでも言いましょうか。まだまだ旅の途中ですね。

世の中にはまだまだ新しい未開拓なゾーンが必ずあります。誰もが希望を持って、自分達の手で明るい未来を築く権利があります。自分をもっと信用して、あえて辛い事に飛び込んでみる事も大事です。その場所が楽しくなるかもしれません。

※記事の内容は取材当時のものとなります

プロフィール

氏名
木村政雄